JR宝塚線脱線事故の現場付近を走る快速電車内で、手を合わせる乗客=2024年4月25日午前、兵庫県尼崎市、代表撮影
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 乗客106人と運転士が死亡したJR宝塚線(福知山線)脱線事故から25日で19年になった。遺族らは様々な思いを胸にこの日を迎え、犠牲になった人たちをしのんだ。

  • 脱線事故から19年間、記憶障害の娘 それでも「しあわせ」母の希望

 兵庫県尼崎市の追悼施設「祈りの杜(もり)」で慰霊式があり、遺族ら約320人が参加。JR西日本の長谷川一明社長が「安全は経営の根幹との思いで、さらなる安全性の向上に努めていく」と誓った。

 出席した大森重美さん(75)=神戸市北区=は、長女の早織さん(当時23)を亡くした。企業の刑事責任を問う「組織罰」の実現をめざす活動を長く続け、慰霊式の後も、JR尼崎駅前で署名を集めた。19年間を振り返り、「自分ができることをやってきた。娘の死を無駄にしたくはない」と語った。

 両親を亡くした会社員の小杉謙太郎さん(40)=東京都=は、被害者向けの中継で慰霊式を見た。長男(8)は「じいじとばあばが亡くなった日だね。電車で亡くなったんだね」と話し、次男(6)と一緒に仏壇に手を合わせてから登校した。

 小杉さんは「両親に孫を見せたかった。19年たって、事故がなかったらどういう人生になっていたんだろう、と思うことがあります」と話した。

 JR西でも、事故を直接知らない世代の社員が多くなってきたと聞いた。「当時を知る方が、経験をしっかり伝えていっていただきたい」(原晟也、石田貴子、瀬戸口和秀)

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